人 間 関 係 に つ い て 1

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【1】

現われは自分の心の影

 人はひとそれぞれの人生で、喜び、悲しみ、時には苦しみながら生きています。そしてほとんどの人が人間関係や環境に左右されながら一喜一憂しています。私たちは自分の心と自分を取り巻く人間関係や環境とのかかわり方をもっと知る必要があるんじゃないでしょうか。


人は生まれるとまず最初に環境によって心が創られていきます。
父母、家族と言う環境、生まれた国、生まれた時代、それらの環境によって自分の性格が形づくられ、考え方、知性、教養、人間性などが色づけされていきます。

穏やかで心やさしい愛のなかで育まれる心、偏見と抑圧のなかで育まれる心。
人はそうしたなかで成長するのですが、人は人や環境に作用されるだけではありません。自分の心が人間関係や環境を創り出す働きもします。


おだやかな心の人の周りにはおだやかな人が集まりますし、トゲトゲしい人の周りにはトゲトゲしい人が集まり、いつも喧嘩の絶えない環境が現れます。
昔から「笑う門には福来り」と言いますでしょう。いつも明るくにこやかな人の周りは明るい人が集まり、 「こんないい話があるからあの人に持って行ってあげよう」という気持にもなりますが、いつも暗い顔をしている人には、ちょっと寄りづらくなりますよね。
これは自分の心がそれにふさわしい人間関係や環境を創りだしているということです。
これは類は類をもって集まるという一つの法則が働くからです。集まるのは人だけではありません。心にはげしい衝突の思いを秘めていますと、何らかの衝突に巻き込まれる環境に遭遇します。これは心の波長が類似の波長に合うからです。


また、心は目には見えないのですが、エネルギーを持つものだと考えたらどうでしょう。心に蓄えられたエネルギーは何らかの形で表出するわけです。心の思いに同調する人や環境に出会ったり、人間関係や環境を創りだしたりします。
その心のエネルギーが外に現れず、自分の精神や身体に向かい、病気という姿で現れる場合もあります。
自分に係わる現象は、すべて自分の心の波長に合ったものだと考えられます。つまり自分の身に起こる現われは自分の心の影なのです
そして現れた人間関係や環境がまた自分の心に影響を与え、繰り返し同じような生活環境の中に居ることになります。


私たちの人生に起きる出来事は、心と環境の織り成す人生模様とも言えます。
私たちが人生の目標とすべきは、心の法則(原因と結果の法則)を知り、 自らの強い意志で人間関係や環境をコントロールする人になることではないでしょうか
そうした能力が備わったとき、おのずから人間関係や環境の現われも変化してきます。人間関係は正に自己啓発の道でもあるのです。

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【2】

苦しい人間関係の意味

私たちをとりまく人間関係のなかで、人はさまざまな姿、形で現われます。
あたたかくやさしい慈愛に満ちた人として、やさしいけど厳しく怖い存在として、あるいは情けない自堕落の人として、あるいは傲慢で人を小ばかにする人として、まさに千差万別さまざまです。
ここに人間関係の難しさがあります。自分にとってやさしくて温かい人ばかりだったら、どんなにか人生が楽しくてバラ色でしょうに。


さまざまな人間関係があるということは、私たちにさまざまな楽しみ、喜びとさまざまな苦しみ、困難をもたらします。
ここにこそ、私たちが生きていく上での大きな意義があります。
もし、自分にとって都合のいい人ばかりでしたら、人生に何ら緊張感は生じないでしょうし、自分が間違いを犯してもさして気にもとめないで生きていくことになります。


人は悦びと幸せのために生きています。進歩と向上があっての悦びであり、幸せですね。そのためにこそさまざまな人間関係があると思ってみませんか。
このさまざまな人間関係が進歩と向上をもたらします。かけがえのない愛する人を幸せにしたいから、人は一生懸命働きますし、愛する人に喜んでもらいたいから色々と頑張ります。
また、自分を愛してくれる人のやさしさ、温かさがあればこそ、私たちは勇気づけられ、支えられて生きる力が出てきます。


しかし、そうした人間関係だけですと人生は完全ではありません。自分にとって都合の悪い、嫌な人間関係も不可欠です
むしろ、人生を振り返ってみますと、つらく苦しい人間関係が自分にとってかけがえのない出会いであり、出来事であったと思えるほうが多いのです。
「あの人とのつらい体験があればこそ・・・」「あの出会いのお陰で・・・」。こうした体験は誰しも一つや二つはあるでしょう。そうです。人を導き、高めるのはやさしい親切な人間関係とは限りません。鬼のような、夜叉のような人との出会いの中にも、かけがえのない人生の導きがあります。


人生は長い目でみる必要があります。今、眼前にあるつらく苦しい人間関係は、自分にとってどんな意味をもつのか・・・こうした思いをめぐらすことこそ、自分を高める機会でもあるのです
あたたかくも苦しくもさまざまな出会いが、私たちの人生を深く味わいあるものにしてくれます。そうした道のりを経た後で、私たちは穏やかでやわらかい人間関係へ到達するでしょう。

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【3】

「原因」と「結果」の法則

人間は思いの主人であり、人格の製作者であり、環境と運命の設計者である


 私たちは、人生で直面するどんな状況にも賢く対処する能力と、自分自身を望みどおりの人間に創り上げるために使うことができる、変容と再生のためのしくみを自分の内面に持っています。
私たちは、自分の人生に深く思いをめぐらし、さまざまな環境や、現象を創り上げている法則をみずからの手で発見したときから、 私たちは自分自身の意識的な主人になります。
でも、私たちがそうなるためには、「原因と結果の法則」をはっきりと認識しなければなりません。そしてその認識は、みずからの試みと経験と分析によってのみもたらされます。


自分の人生環境において、日常的で些細な出来事をも含む、自分に起こるあらゆる体験の「原因」と「結果」 を入念に分析したならば、「人間は自分の環境と運命の設計者である」別の言い方をすれば、「現われはすべて自分の心の影である」という真実に 必ず行き着くことになるでしょう。

−ジェームズ・アレン−




 特に人間関係や起こってきた出来事によってもたらされる苦痛の体験は、「原因」と「結果」の心の法則を認識するのにはいい機会です。
そのときこそ自分の内面を見つめるのです。いままでの自分の思い、考え方に問題がなかったか、不正な思いや身勝手な考え方がなかったか、 人を苦しめていなかったか、人生になにが大切かなどを考察してみるのです。
この考察作業こそ自分を高めていく自己啓発の道なのです。

扉はそれを叩く者に開かれる

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【4】

困難の背後にあるもの

 人間関係のなかで最も扱いにくく、困難な問題なのが心のトラウマです。
誰しも幼い頃からやさしく、あたたかい両親のもとで育てられたのならいいのですが、人はさまざまな環境の中で生きています。
また、いろいろな人間関係の中で人知れず苦しい思いを受けて、深い心の傷を負っている方もいます。
そうした傷口の見える経験だけではなく、愛という名目にかくれて知らず知らずのうちに身動きができないほどの束縛を受けていたりします。母の支配がそうですね。いい人で生きていくことの苦しみの人もいます。


こうしたトラウマは人間関係に深刻な障害をもたらしたりします。理性では抑えきれない感情や衝動にコントロールされてしまいます。
そこまで深刻ではなくても誰しも心にトラウマや精神的ストレスをかかえていて、それが人間関係を複雑なものにしていきます。


人はさまざまな場を生きています。それらは自分の生きてきたさまざまな行為や想念、感情の結果としての場なのでしょう。でもいつまでも同じ場に居続ける必要はありません。その場の体験や試練から何かを吸収して、すみやかに次の段階へ進む必要があります。
全てのカギは心です。心が一つのことに引っかかると、そこに全てが停滞します。


人生に偶然はないと言われています。すべての出来事は必然なものと受け止めてみる必要があります。過去に起こった出来事を、悲観と嘆きの束縛で捉われるのを止めましょう。真正面から、またさまざまな角度から見つめてみる必要があります。
人生は奥深いものです。悪しきと思われていたことが、長い人生の結果、自分にとっての大切な糧であったと思うときも来るはずです。


人はゴールで、その人生の価値が決まります。人は苦しみや困難の背後にこそ横たわる輝きを見つけるように出来ている気がします。
人間関係や現象の困難、苦しみから自分をコントロールする道を見つける、これこそ最高の自己実現ではないでしょうか。

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【5】

話すことは放すことです

人間関係のつらさの中には、自分をうまく表現できない、あるいはうまく伝えられないことからくる疎外感もあります。
人は表現するように生まれてきています。このさまざまな表現を妨げられると、人は苦しくつらくなります。
子供の頃に自由にのびのびと話すことを抑圧されると、吃音になったりしますし、あるいは行為などを抑圧されるとチック症状になったりもします。
このように人は表現を妨げられると、心にも身体にもさまざまな影響をもたらします。


表現が少ないと顔の表情が乏しくなり、明るさが不足してきます。これが人間関係を損なう元になります。人は明るい人に寄っていきます。
人間関係を好転させるには、表情豊かな人間になることが一番ですね。
そのためには自分を表現することが大切です。機会をみては自分を語るのです。 自分を語ることは人間本来の欲求ですから、自分の心が悦びます。
特に内面の隠された自分の本心を語ることは、大変必要なことです。心が悦びますと、自然に表情も明るくなってきます。


いつも本心をかくし、その場に合わせた言葉を選んで会話をしていますと、やがて自分の本当の心すらわからなくなります。
こうなりますと一見人とうまくいっているように見えますが、心からの人間関係は生じません。 いつも人間関係に疲れを感じるようになります。人間関係に悦びを感じることも滅多にありません。
傷つくことを恐れず自分の本心を語るのです。そうした会話をしていますと、次第に心の抑圧が放出されます。まさに話すことは放すことなのです

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【6】

調和よりも大切なこと

人間関係で大切なのは人との調和であることは言うまでもありませんが、時には調和よりも大切なことがあります。
調和をとることが最優先ですと、いきおい自分の言いたいことを我慢することになりかねません。常にその場の空気に気を使うことになります。
実はこうした人の気持に合わせる人づき合いには問題があるのです。


こうした人間関係を続けていますと、自分の本心を素直に出せなくなります。いつも作った感情で人づき合いをするようになり、そのうち自分の本心がわからなくなります。そうなりますと、自分の中から 生き生きしさや積極性が失われ、人間関係に疲れるようになります。


大切なのは、傷つくことをおそれないで自分を主張することです。慣れてくるとバランスをもった自己主張が出来るようになります。
自分を主張することと、他の人への思いやり、この両者のバランスがとれてこその調和です。 まず調和ありきではありません。
調和を重んじ過ぎますと、自分さえ我慢すればという自己犠牲の不調和が現われます


もう一つ調和より大切なのは、正しきを立てることです。不和をおそれて間違った行為や考えをうやむやにすることは長い目でみて人間関係にマイナスです。
特に家族などの大切な人間関係では毅然と正しきを通すことが、将来に禍根を残しません。一時の不和よりも大切です。
目先の調和よりも正しきを学ぶことが優先事項ではないでしょうか。

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【7】

調和のしかたを見つける

人間関係に疲れたり、つらくなったりする原因は、大きく別けて次の二つにあります。


一つは、自分のことだけ考えて、他(ひと)を思いやらないこと。
もう一つは、自分さえ我慢すれば、なにもかもうまくいくという考え方。



自分のことしか考えない人というのは弱い人です。自分を守ろうとするあまりに余裕を失っている人と言えるんじゃないでしょうか。あるいは幼い頃からわがままに育ったり、充分な愛を与えられずに育った人も自己中心の人になります。
このタイプの人の中には暴君的ともいえる頑迷な人がいて、いっさい聞く耳を持たないという人もいます。こういうタイプの人とは はなから人間関係はうまくいかないように思います。


もう一つは、自己犠牲の人です。こういうタイプの人も案外多いんじゃないでしょうか。自分に言いたいことがあっても、角をたてるより言わないで我慢しようというタイプです。一見うまくいっているように見えますが、その実、本人は自信がなく、いつも卑屈で落ち込んだ気持ちの人です。
結局言わないストレスがたまり、あなたのことを思って我慢をしてるのに私のことをちっともわかってくれないと不平不満を持ちかねなくなります。また相手もそういう人に苛立ちを感じたりします。いわゆるいい人タイプの人に多いと思います。


調和のとれた人間関係というのは、他(ひと)の意見や思いに耳を傾け、そして自分の気持ちや考えもすなおに相手に伝えるということに尽きると思います。相手を認め、許し、受け入れる。そして素直な自己主張。
感情的にならずに自分の気持や考えを、正直にすなおに相手に伝える。
お互いにそういう関係が築かれたときに、調和のあるやさしい人間関係が生じます。むずかしいと思います。だからこそ出来たときの悦びが大きいのかもしれません。

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【8】

上のものは上に

私たちが調和を持った人間関係を築いていくのに非常に大切なのは、人の位置関係です。これが調和のおおもとです
親と子、先生と生徒、年長者と若輩者といったように人間関係にはそれぞれの立場があります。 人はそれぞれ自分の立場を守って人とつき合いますと、人間関係に不要な摩擦を起しません。会社においてはこの上下関係や横の関係の立場が比較的きちんと守られていますから、どんなに大きな組織でもきちんと運営されていきます。
しかし私たちの社会では、今この人として守るべき規範が乱れているように思えます。子が親を親とも思わない、生徒が先生を罵倒する、妻が夫をないがしろにするなどかなり家庭や社会が乱れた感じです。


この自分の立場を守り人の立場を尊重するという規範が崩れますと、人間関係がギクシャクとして信頼関係が失われ不調和が現われます。
人間関係だけではなく、その人の幸不幸をも左右します。乱れた言葉、反逆の心は決して幸せでおだやかな環境は創りません。 人は心の奥で自分の行為が正しいかどうかをちゃんと見極めていて、自己評価をします。自分が乱れていますと、自己卑下、自己嫌悪におちいり自分を幸せな境涯や成功者には導きません。どんなに努力をしてもマイナスの力が作用し、いい結果を出すのは難しくなります。


私の体験なのですが、九十代になる母親が認知症になり、下をトイレ以外ですることが度々ありました。私も妻も大変困ったのですが、あるとき「母がこうした行為をするのは無意識的に私たちに反抗しているからだ」と気がついたのです。それまでの私は親を親とも思わないで、私と母の上下関係を逆転させていたのです。 いたく反省し、例え認知症でも母を母として扱うように心を変えたのです。その時いらい母は一度も粗相をしなくなりました。


この世界は目に見えない世界でつながっています。人間関係では上のものは上に置く、というように正しい位置関係で生活を営むとき調和が現われるのではないでしょうか。

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【9】

なぜ親を殺したくなるのか

子どもが父や母を殺すという痛ましい事件が時として起こります。私たちにはどうしても理解できません。なぜあんな行為が出来るのでしょうか。
実は私たちの行為をコントロールしているのは、私たちが意識している表のこころではなくて、表の意識に上って来ない潜在意識(無意識)だと言われています。
ですから到底普通の心では考えられない行動をしたりします。奥底の心の思いに突き動かされるのです。
父や母を殺すという行為も、無意識の心に突き動かされてのことなのですね。その無意識にはどんな心が働いているのでしょうか。人間関係を考える上でもとても大切なことのように思えます。


心理学によりますと、私たちがもっとも嫌悪するのは「束縛」だそうです。もともと私たちは肉体に束縛されています。この肉体の束縛から解放されたい衝動が自殺行為となって現われると言われています。人間の本来的願望は一切の束縛のない自由であり、次いで自我の自由だそうです。
親子という人間関係では、親が子どもの自我を束縛するという世界が非常に起こりやすいのです。この時、子どもは親を殺したくなると言われます。
ハッキリ殺したいとは思わなくても、「両親または片親嫌悪」に陥り、子どもは親に反抗して苦しめて喜ぶようになる・・これが親不孝の子どもの心です。


親の観念で子どもを強く縛った結果です。子どもを「良くしてやろう」「こうしなさい。ああしなさい」と親の観念で子どもの自然な伸びやかな思いを押さえ込むと、こうした反抗の姿を創ります。
中には親に反抗すら出来なくて、自分の心を抑圧し、身体に病気を現したり、精神的な障害を現すにいたる子もいるでしょう。 また、うまく人間関係が築けず社会的な疎外感を持つに至る場合もあるでしょう。


最も悪いのは、精神的に、ヒステリックに、親の心配心で子どもを束縛することです。中には子どもへの心配ではなくて、親の対面上の都合で子どもを束縛する人もいます。子どもの奥底の心は親の全てを見抜いています。
人間関係にとって「自我の自由」「自我の尊重」これほど大切なものはないと言えます。

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【10】

なぜ愚痴をこぼすか

人間関係の中で人の愚痴を聞くのは嫌なことの一つですね。
私はいつも愚痴を口に出していましたからよくわかるのですが、愚痴をこぼす人ははっきり言って幸せな人ではありません。 自分の置かれている立場や状況に不満があるのです。自分をとりまく人間関係にも不満があるのです。自分が自分のいるべき正当な位置にいないと感じてもいます。現状を受け入れる許容性に乏しい人でもあるのです。


愚痴を云うのはみっともないと知っていて愚痴が口をついて出ます。なぜ人は愚痴をこぼすのでしょうか。根底には自分の能力が認められていないことの不満や、自分の置かれている立場への不満を、まわりの人びとや組織などの欠点に置き換えているのです。
心の中の不満を解消しようとして、愚痴をこぼしているのです。人は自分の心が安定する方向に行為します。不安になると盛んに喫煙したり、人によっては爪を噛んだりしますね。これらはそうすることで心を落ち着かせようとしているのです。
同じように愚痴をこぼすのも不満を解消させ、心を安定させようとする慢性的な行為なのです。
ですから心の安定している人は愚痴を云いません。云う必要が無いからです。


人間関係にとって愚痴はあまりいい雰囲気をつくりません。一種の毒気です。でもそうした毒気を許容する人間関係も必要です。そうして愚痴を云ってた人も、やがて正当な自分の位置に落ち着きますと自然と愚痴を云わなくなります。
今なお愚痴の人は、今ある場所は自分が本来目指す場所への過渡期の場と思い、今自分をとりまく環境や 人間関係を受け入れるという心持になれば、愚痴も少なくなるでしょう。
また人の愚痴も聞いてあげるというやさしさも人間関係では必要ではないでしょうか。

上の写真は【自然悠悠】さんからお借りしました。

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