【11】
人間社会における "多即一"
以前、私は自分のメガネがプールの水中の中ほどにある夢を見たことがあります。その夢のなかで『多即一』という文字が出てきました。
当時、私は仕事先のお得意さんと仕事上の意見の相違をかかえていました。
私たちは仕事上に限らずそれぞれ自分の意見をもち、人と意見の相違を起します。これがこじれると、時にはトラブルにまで発展します。人間関係のトラブルのかなりの部分はこの意見の相違にありますでしょう。
私たちはそれぞれ自分の人生を生き、生き方考え方が皆ちがいます。人間関係や社会関係の難しさはこのそれぞれ違う考え方をしていることにあります。みな同じ考え方や意見ならば、人間関係のトラブルも、国際紛争も、戦争だって起きないでしょう。

夢の中のメガネは自分の見方、つまり自分の考え方や意見を象徴しています。
普段の私たちはこのメガネの内側からメガネを通して見ています。そうして個々別々の意見や考え方の存在を認めています。私たちの人間関係では自分と他がそれぞれ決定的に別々なのです。
プールの中でメガネを通して見ると、メガネの働きをしません。メガネを通して見ても見なくても同じに見えます。つまり自と他の区別がつかないのです。
自分の意見も所詮は一つの世界(プールがその象徴)の中の一部分であり、
他の人の意見も自分の中の一つの意見なのだということを表しているように思えるのです。私たちが人生を生きているこうした自と他が別々に見える世界を小世界としますと、心の中には自と他が渾然一体となっている本然世界もあるということを表しているように思えます。
私流に考えますと、それぞれの個は大いなる一つに収斂されるものだというのが『多即一』の意味だろうと思います。『一即多』という言葉もありますが、これは大いなる一つがまた個として現われているということではないでしょうか。
人がこの "自分と他人とは本来、渾然一体である" という本然世界の観念でもって、人生を生きるとき、私たちの人間関係や社会関係はもっと楽なものになっていきますでしょう。