
私たちは人間関係においてさまざまな問題に直面します。そうした問題の中で自分の特徴として現われる決まったパターンがあります。人はみな幼児期や成長期で受けた体験を人間関係に投影していますから、過去に傷つき、それを心に抱え込んでいる人は、繰り返し同じトラブルや苦しみ、困難を人間関係に体験していきます。
親からあまり愛されなかった人は、「私は誰からも愛されないのだ」「他の人が親以上に愛してくれるはずがない」といった思い込みを作ったりします。そしていつも一人でいる居場所を心の中に作りますが、寂しさを埋めるため人に優しさや愛を求めます。ところがほんとうに優しい人や好きな人が現われると、いつのまにかその人間関係を壊してしまいます。
その愛や優しさが信じられないからです。「この優しさ、愛には何か裏があるのではないか」と人を素直に受け入れられないのです。それに結局は、慣れ親しんだ自分一人の居場所を手放せず、人間関係に臆病になっているのです。これがその人に繰り返し現われる問題のパターンです。 また逆に親から強い干渉を受けて育った人は、人が自分に寄せてくる親切や
愛をうとましく感じ、そこから逃げたくなるとも言われています。 私たちは自分が抱えているこうした過去からの傷に気がつかないでいると、同じ問題のパターンを繰り返します。自分を変えたいのなら、自分の心の奥に潜んでいる傷や思い込みが、どう今に影響しているのかに気づかなければなりません。
【page topへ】

人間関係では、ずいぶん仲の良かった友達や恋人と思わぬことで別れてしまうことがあります。 一番多いパターンは、相手が自分を傷つける言葉で攻撃してきた時です。言われた方は心が傷つきます。「どうしてあんなひどい事を言うんだろう」と心は痛みや妄想でいっぱいになります。「あの人はもう私のことが嫌いになったんだ。そうに違いない」などと、マイナスの想像だけが頭をかけ巡ります。
そしてこちらも感情的になり、「あの人は私をいたく傷つけた。許せない」と反発します。そして「彼(彼女)が私をほんとうのところわかるはずがない」「私たちはもう終りだろうか」といった考えで頭がいっぱいになり、相手に反撃をしたり、心を閉ざしたりします。そして二人は連絡をしなくなり別れという破局を迎えます。
人間関係において多いパターンですが、客観的にこの現象を見てみますと、錯覚と恐れ弱さが感情をかきみだして、いたずらに混乱を引き起こしたと見れるのです。初めに傷つける言葉を投げかけた人の率直な気持は「ただ私は忠告のつもりで言っただけなのに」あるいは「私は自分が感じたことを言ってみただけなのに」というのが正直なところだろうと思います。人は親しくしている最中にその人を激しく傷つけることなどしません。
この結末は言われた側の過剰な反応がひきおこしたと見るべきです。 人は誰しも心の弱点を抱えています。その弱点は意識的に自分でも触れないようにしている部分なのです。実は、相手の言葉はその部分に触れてしまったのです。 問題は相手の攻撃性にあるのではなく、この部分を人に見られたことで、自分自身がひどく傷ついてしまったことにあるのです。相手はそこまでその人を傷つけようなどとは思ってもみなかったことでしょう。
自分が無意識的に見たくない部分を、いきなり明るみにさらされたから狼狽し、その心の痛みの大きさを相手に投影し、相手が攻撃したと思い込んでしまったという側面が強くあるのです。 素直に相手に、自分の弱い部分に触れられるとどんなに心が痛むかを伝えられると、この問題は解決します。
【page topへ】

私たちは人間関係で衝突が起こった時、さまざまな受け止め方をします。そうした受け止め方の中で、心にひどい痛みを受けることがあります。その時、私たちは怒りを覚え、相手を避けたり強く非難したりします。そしてこのことを一刻も早く忘れ去ろうとします。 実は、このひどく痛みを感じる部分こそ自分にとっては大切なところです。相手はそんなにひどく傷つくとは思いもしないで、
流れの中で言った言葉なのでしょうが、 ひどく傷つくのはその言葉が自分の弱みの核心をついたからなのです。 自分の人に触れられたくない部分、自分でも避けていた部分、こうした心の弱点は誰にでもあるものなのですが、そこの部分を陽にさらさないと弱点は弱点のままいつまでも引きずることになります。人はある心の部分を避けていたり、封印していると、ますますその部分がコンプレックスとなり、
人間関係や生き方に歪みをもたらします。 そうした衝突が引き起こす痛みや恐れに注意をむければ、隠れた自分の本当の欲求に触れることができます。子どもの頃からの自分本来の心の欲求が横たわっています。それこそ自分に葛藤を創りだしていた一つの欲求なのです。 この衝突によって引き起こされた心の痛みこそ、自分を取り戻し、率直で成熟した人間関係を育てるいい機会です。私などは
いつもここで怒って、いい機会をつぶしていました。人間関係において心に影響を受ける場合は、相手の態度や言葉は自分の心の深層を投影している場合が多いのです。つらさや悲しみから逃げないで、なぜ心が痛むのかをよくよく見つめることで、無意識に隠されていたものが意識に上がり、やがて痛みが軽くなっていきます。
【page topへ】
| 29. 受け方を変える (アルバート・エリスの思考法) |
論理療法を唱えているアルバート・エリスの合理的思考法は、私たちの人生や人間関係をよりポジティブで幸せな方向へ変えていくのに大いに役立ちます。 人間関係では相手の言葉や行為が自分の感情に決定的な影響を与えていると思い勝ちですが、本当のところは相手の言葉や行為が力を持っているのではなく、受け止めた自分が自分の感情を起しているのだというのが対人間関係の本質なのです。
アルバート・エリスの論理情動療法の一部を紹介します。 (ヴェルナー・クラーク著 なぜ私は、幸せではないのだろう? より)
| 非合理的思考 | 合理的思考 |
| どんなことがあっても、全員に好かれなくてはならない | みんなから好かれたらもちろんすてきだろうが、当然、全員に気に入られることなんかできない |
| 私の言うことを他の人はしなければならない | 私自身、命令を受けたがる人間ではないように、他の人も同じだ。誰も強制されない |
| あれこれに対して怒りを覚える | 何も、誰も私を怒らせることはできない。私が自分をそう仕向けなければ。自分で怒りを作り出しているだけ |
| 誰それが私に権力をふるう | 権力は、受け入れる人がいるから存在する。誰も私に権力をふるうことはない。私がそう仕向けなければ |
| 私は大事な仕事や決断しなければならないことを後に延ばす。なぜなら今はそれをする時機ではないから | 私は「先延ばし病」に感染しない。今、対応して決める。単に待つのは正しくない |
| 試験に落ちたことは、私が価値のない、ダメな人間であることを新たに示すものだ。あきらめよう | 試験に落ちたが、人間としての価値がどうのというわけではない。もう一度トライしよう |
| それは不公平だ。人生は不公平であるべきではない。ひどく腹が立って、何もかも放り出したい気分だ | 残念なことだが、不公平はよくある。不公平がなければ世界はずっとよいものであるだろうが。しかし私は、そのことに惑わされず自分の道を進もう |
| 最悪の災難が私に起きた。耐えられない | その出来事は気持いいものではないが、数々の困難は克服するためにあるのだ。今、最善を尽くそう |
| つれあいが私を非難した。彼(彼女)は私をもう愛していないということだ | つれあいが自分の観点から「真実」を私に告げた。これは私に関しての価値ある情報だ。このことは彼(彼女)が私を愛していないということにはならない |
|