人間関係を正しく築いていくうえで、大切なのは相手が怒っているときにどう対処するかという問題があります。 たいていの場合、冷静さを失って自分も感情を乱し、喧嘩になったり、感情をおさえて我慢をし、やりきれない思いを抱え込むということになります。
以外とわかっているようでわかってないのが怒りの正体です。この怒りの正体を見抜くことが、相手の怒りや自分の怒りに対処するのに大切です。
相手が怒り出したとき、ほんとうの原因を見極める必要があります。  些細なことで怒られた場合、その些細なことが「原因」で相手が怒りだしたと思うと、「なんでこんな些細なことで!」とこちらも怒りがこみあげてきます。
大抵そんな場合、その些細なことが原因ではなく単なる「きっかけ」であることが多いものです。 もともと怒る側に怒りたい気持ちを抱えていて原因はなんでもよかったのです。その人との関わりの中で、我慢していた怒りの感情がちょっとしたきっかけで噴出す場合もあるのです。
自分が知らず知らずにその人を傷つけていたかも知れないのです。そこまで思いをめぐらす必要があります。 また、相手は「八つ当たり」をしている場合もあります。会社で嫌なことがあったとか、上司に怒られたとか、家庭でイヤなことがあったとか。そこのところを見極める必要があります。
その「八つ当たり」の相手が子どもであった場合、子どもはその怒りをすべて抱え込まされますので大変です。実際に子どもが悪いことをした程度を怒っていれば何も問題はないのですが、
自分の抱えていた怒りを上乗せして子どもに八つ当たりをするのですから子どもは大変です。お母さんの八つ当たりも意外と多いのじゃないでしょうか。 実はこの不当な八つ当たりが大きな問題だと言われています。 幼い子は自分が悪いから怒られたのだと思い込み、成長に歪をもたらしますし、もの心のついた子どもは親に対する怒りを放出できないで、心の底にためこみます。
この心の底に溜め込んだ怒りの積み重ねを(怒りのマグマ)と呼ぶことにします。 怒りはエネルギーですから、(怒りのマグマ)は溜め込まれたエネルギーとなっていつか放出されていきます。
大人になってからの怒りの表現の根本原因は、実はこの(怒りのマグマ)と言われています。会社や人間関係などで嫌なことがあったとしてもいつまでも怒りが続くのはこの(怒りのマグマ)が刺激されているからだそうです。
(怒りのマグマ)が強い人ほどちょっとしたことで怒り出します。常に怒りで爆発しそうになっている人です。幼い頃に母親から受けた怒りの強い人がDVになったりするのではないでしょうか。
相手が怒ったとき、その場面だけで反応しないで、ひと呼吸をおき怒りのバックグラウンドまで見つめてみる。それが賢明な対処法ではないでしょうか。 実のところ、私が怒りの人でしたのでそこのところがよくわかるんです。
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私たちをとりまく人間関係にはさまざまな出来事が起こります。恵まれた人間関係だけですと素晴らしい日々を過ごせるのですが、時にはとても嫌なつらい人間関係が起こることがあります。そうした中でも自分につらく当たってくる人がいる時は一番やっかいです。
一日のうちその人と出会う時間がわずかでも、その人との人間関係が心に長くのしかかってきます。それはその人の発する自分に向けられた感情が、いや応なく自分の心に入り込んでくるからです。 いったいこうした人間関係のつらさ、苦しさにはどう対処したらいいのでしょうか。
まず、そうした人につらく当たる人について考えてみましょう。 はっきり言えることは、決して幸せな人ではありません。幸せな人は人に心地いいオーラを発散します。人につらく当たる人は、あまり人から受け入れられていない人です。人からいい評価を得ていないのです。何かに対していつも不平不満を抱えている人であろうと言えます。
 あるいは幼いときからの両親との人間関係に軋轢を抱えている人なのかも知れません。 常日頃の不平不満が、ある程度ふくれあがった人が、自分の気持のはけ口として人につらく当たるのです。相性の悪い人を無意識的に選んでいるのではないでしょうか。
そういう人には、決して幸せや本当の豊かさは入ってきません。その人の人生の行く先に待ち構えているのは、困難とつらさです。周りの人からの援助の手も差し伸べられません。与えたものが与えられるのがこの世界の法則だからです。 その人と感情を四つに組んで悩み苦しむのは、何としても止めねばなりません。 つらい思いをする一つに、その人から逃げたいのに逃げれる状態ではないから一層つらい思いを抱えるのかも知れません。
心に決めるのです。「逃げない」。 難しいかも知れませんが、自分が少し高所に立って、その人の寂しさ、つらさを理解してみるのです。そして「よし、受け止めよう」、「受け止めたのが他の人でなく私でよかった」「私もかって誰かに同じようなことをしたことがあったんだろう」とか一生懸命建設的に自分と戦ってみるのです。
その人を拒否しようとすれば、その人を嫌がる心だから、かえって自分に嫌な気持が増幅されます。 その人より大きな心を出し、相手の波長と違う波長を出す努力をします。イヤだ 々「なんだ、あの人は!」という気持は、相手と同じ波長だからいつまでも取っ組み合って抜け出せません。
これは相手との戦いより、自分との戦いなのです。
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人間関係のなかでも、感情的なやりとりをした後の不愉快さはやっかいです。 特に嫌いな人、敵愾心をもった人との感情的やりとりの不愉快さは当分消えません。
相手の人格的雰囲気や、嫌悪感などがこちらの心に入ってきます。まるで穏やかな心に、ザラついた異質なものが入ってきたかのようです。 こうなりますと一日中その不愉快さを引きずりかねません。
こうした不愉快な感情を取り除くには工夫が必要です。
1. 格調の高い本を読む 2. 感情を紙に書きなぐり、そして燃す 3. ストレッチやヨガなどをする。
こうした気分転換の方法で自分に合ったものをやってみるのもいいですね。 感情はエネルギーですからそれを溜め込まないで放出させるのが一番です。 そのための呼吸法を試みてください。
静かな場所に行き、思う存分心身の緊張をときほぐし、呼吸を深くして気分を和らげます。 そして心の中で自分が経験した感情的やりとりの場をまじまじと心の眼に思い起こします。そしてその時の感情の高ぶりを実感します。
ゆっくりと深呼吸をします。深く深く・・・数回・・・呼吸する・・・その間、過去のやりとりを心に再現してその不愉快さを実感します。 これを何度か繰り返せば不愉快な感情のエネルギーが放出されていきます。 感情を出すまいとして抑圧するのはよくありません。これは溜め込まない一つの方法です。
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人間関係の苦手な人のなかには孤独な人もかなりいらっしゃいます。人間関係が苦手だから孤独とも言えますね。 孤独な人から見ると他の人が自分を避けているように見えますが、本当のところは自分が人を寄せ付けていないのです。
自分が変われば人は寄ってきます。 尤も人間関係で孤独であることはそう捨てたものでもありません。 孤独であることを評価すべき点もあります。人生を考え、深く思索したりするには孤独であることの方が深く入り易いのです。また絵とか文学とかいった感性を求められる仕事にも、孤独の時間は大切です。孤独は感性を磨きます。
しかし、高き山へ登るにも時には一人で登るのも素晴らしいのでしょうが、仲間やつれあいと一緒に登って、喜びや楽しさを共有するのも人生の必須です。
孤独を抜け出すために
| ○ 表情を変える |
| 暗い表情の人は敬遠されます。明るいと人は寄ってきます。毎日鏡を見て笑顔の練習をし、顔のいろんな筋肉を動かして表情筋を働かせます。 |
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| ○ 目を生き生きさせる |
| 目がきれいでキラキラしている人は誰からも好かれます。どうやって目を輝かせるか・・何かを見つけては感動する、木の葉一枚輝くのを見ては「スバラシイ」と思うようにすれば目が生き生きしてくると言われています。 |
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| ○ 今あるものに感謝する |
| 不平不満の心を捨て、今あるもの、今のよき事を悦ぶ心を育てる。 |
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| ○ 会話への心がけ |
| 話すことが苦手の人は、人の話をよく聞いてあげ、会話の流れをスムースにするために相手によく質問をすることを心がける。 |
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人間関係でつらくなる根本の原因は、人の汚いところ、悪しきところを許せないと感じるところにあります。 人は自分と他の人を差別して感じています。全然別の存在だと思うからです。 それでも家族は自分の存在の範疇に入れます。まして吾が子が赤ちゃんの時などは自分と同一して、自分と他という区別はほとんどありません。
だから吾が子が出すウンチも汚いとは感じません。ウンチの話ですみませんが、自分のウンチも自分の体内にある時には汚いと思わないのに、いったん外へ出ると汚いと感じます。唾液でもそうですね。  こうして考えて見ますと汚いという感覚は現実に汚いものではなく、感覚上のものだということがわかります。自分の受け止め方だということになります。
実際のところ科学的にみても、ウンチも食品も物質的に分解してその組成をみれば同じ分子の結合に何ら変わりはありません。 本来 "汚い" "きれい" という存在はないのです。あくまでも自分の感覚にすぎないということになります。 そうして考えますと、悪いということもあるのかないのかあやふやになってきます。盗みだって悪いことなのですが、もし、だれのお金でも自由に使えるという時代がくれば盗みはもう悪ではなくなります。
おおもとに立ち返って考えますと、汚いとか悪いとかいう受け止め方はあくまでも自分の感性の問題であり、相手に確かに属する汚さ、悪さだと思うのは本当は間違っているのではなかろうかということになります。 永い目でみますと、自分にとっていい人よりも、自分にとって嫌な人が、自分の役にたっている場合もあるのです。 相手の汚さ、悪さをつかんで、それを実在だと思うから、自分がつらく苦しくなるのではないでしょうか。
昔から 『清濁併せ飲む』という言葉があります。あれは汚い、これは悪いと選別しないで、少々の汚さ、悪さも受け入れてしまう大きな心を持てということを表しています。 ここまでくれば人間関係でつらくなる度合いもずいぶんと少なくなるでしょう。私も苦しかったころは、ずいぶんと人を裁いていました。まだまだ道半ばですが。
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