なんだか最近の若い人の中に『見下しの人』が多いような気がします。何を根拠としているのか知れないのですが何となく人を見下しているのです。 こういう人と会話をしていますと、次第に何となく不快を感じ、心に突き刺さるような感じがするのです。
こうした『見下しの人』とは人間関係を持ちたくなくなります。そうした人と会話などを交わした後は当分不快感が続きます。自分の受けた不快感を、自分もまた人に雰囲気として伝えますので、見下しの波長が伝染します。最もイヤな人間関係です。 
なぜか男性に多いような感じです。人との競争社会に生きていると負けられない意識が強くなるからでしょうか。小さいときから成績を比較され、学歴を比較され、職業を比較されるという比較社会を懸命に生きているうちに、心に余裕を失い、心の持ち方に歪が出来たのでしょうか。
人への見下しを裏返せば劣等感です。人を見下すことで自分の心の安定を図っているのかも知れません。本人はそれで自己満足もし、いい気でいられのでしょうが、まわりの人にとっては害虫です。 こういう人は独りよがりで、人との心の交流が出来ません。周りの人からのやさしさも
入りませんので、いつまでも満たされない人生が続きます。 その不満でまたいっそう人を見下しますし、最悪なのは最も見下しに適した相手を見つけ、その人をターゲットにします。部下の一人などがターゲットにされます。こうして職場などにおける最悪の人間関係が作られていきます。
悪いことに本人は自分が見下しの性向であることには殆ど気がついていません。殆どの場合相手を教育しているくらいの気持だろうと思います。またこういう人ほど人から尊敬されたがっていますし、自分を大きく見せたいのです。 こういう人との人間関係は避けるにこしたことはないのですが、
やむを得ない場合、「この人は心の病の人なんだ」という気持でこちら側で余裕を持つようにするしかありません。
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性格が内向的な人は比較的に気も弱いものです。そうした人が結婚生活に入ると、幸せを掴むのがかなり困難になりかねません。結婚生活は夫と妻が主役になり、世間の前面に出ていかなければなりません。独身のときのように親の影というわけにはいかなくなります。
ましてや子どもが出来るようになると、社会的な交わりや行動の範囲が広がります。そうした時に内向的であるということは、相当に自分に心の重荷や負担がかかってきます。 こうした内向的な人は、強さと積極性を身につけていく方法を捜し出さねばなりません。
内向的な人が強さと積極性を身につけるには、必然的に人間関係の中で経験を積んでいく必要があります。それも荒々しい人間関係の中での経験は避けるほうが賢明と思われます。時にはその方が効を奏することがあるかも知れませんが、逆効果の可能性もあります。
内向的な人は自分を前面に出すのが臆病になっていますので、カルチャー教室などへ通って人前に出ることに慣れることが大切です。 人は自分を表現することで変わります。強さや積極性は自信から生まれます。人前で自分を語る(表現する)ということは、次第々にそして確実に
自信がつきます。自分の気持や考え、思いを表現しないことが、自分の中から積極性を失なわせる重大な要因になっているからです。  もう一つの確実な方法があります。 エドガー・ケイシーは、憂うつで臆病な女性に「先ず児童の社会的物質的生活に貢献せよ。活発に児童のために奉仕せよ」
と導いています。 それは自分よりも年若く、経験の乏しい人たちを教え、又は共に働くということは内向的な性格を外交的な性格に転向せしめる優れた方法であるからと説いています。 確かに人を指導し、人に奉仕するということは、不思議なくらい自分が導かれているのです。人の役に立つ働きは、
実のところ自分が一番恩恵を受けます。ただし謙虚さを失わなければです。ケイシーは児童のためにと言っていますが、自分より弱者の人、例えば老人とか病人とかでも同じことです。まず人の役に立つという立場に自分を置くことが大切です。
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私たちは知らず々に人生に損をもたらしていることを知る必要があります。 自分の人生に得をもたらしてくれるのは、もちろん自分自身が情報をキャッチすることも多々ありますが、多くの場合人間関係によってもたらされます。
「これはいい話だからあの人にも教えてあげよう」とか「私たち都合が悪くなったから、この券をあなたにあげるわ」といった具合です。 そうした目に見える話だけではなく、なんとなくいただいた情報が後から大変役に立ったとかということもありますでしょう。
こうした得する情報はよき人間関係によってもたらされます。 私たちはまた自分の人生にこうしたよき情報をもたらさない状況も創っています。 自分の人生に良きものが入って来ない最大の要因は、「拒否する心」です。この「拒否する心」がよき人間関係に大きな
さまたげになるのですが、これが目に見えないだけにやっかいです。それによって自分が人生で損をしているという自覚はありません。この「拒否する心」の正体は「傲慢さ」や「私が」という "我の張った心" あるいは "変なプライド" などの「謙虚さ」を失った心です。
人は謙虚さを持ち合わせている人には心を開いて何でも話せますが、謙虚さの無い人には心を通い合わせません。また例え話をしたにしても、心に「私が」という思いあがりがあると、心で相手の話を軽く見たり、拒否していますので話の印象が残りません。
これが自分の人生に知らず々に損をもたらしているメカニズムです。その時の相手の人がたいした能力もないようでも、後にどれだけ役に立つ知識を身につけているとも限りません。人間関係で損得をもたらす関係は、自分の知恵ではわかり得ないのです。
損得だけではなく、よき人間関係はそれだけで無形の幸せ感をもたらします。 「謙虚さ」は徳をもたらし、「私が」という"我の張った心"は損をもたらします。
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人は不思議なもので善人でありながら、人間関係においては結構つらく苦しい思いをしています。かえって悪い人より辛い苦悩の人生を歩んでいるように見えます。
もちろんいい人の誰もがつらく苦しい思いをしているのではありませんが、いい人の中には心に歪みを持っている人がたくさんいます。自分のその心の歪みに気がつかないと人間関係での悩み苦しみはいつまでも続きます。
はたから見てもおとなしく穏やかないい人が、どうして人間関係においてつらく苦しむのでしょうか。 人は誰でも親から評価され、好かれることを求めて成長します。が、大抵の子どもはそれなりに羽目をはずして伸び伸びと成長します。
ところが中には、口やかましい親や過干渉な親のもとで育った人は、この羽目をはずすことが出来ず、いい子でいることで自分を守ってきます。こうした人は自分を守るために、自分の気持を抑え、親の気持に合わせて生きてきます。
ですからはたから見ると実にいい子です。 そのまま大きくなってもいい人で成長しますと、人に気を使い、人の気持に合わせるのがあたり前と思い、それが人間関係では正しいあり方であると思い込んでしまいます。
ところが子どもの頃から伸び伸びと育ってきた人たちは、そこまで人に神経を使いません。 いい人できた人はそうした人が我がままで無神経な人に見えるのです。「私がこうして我慢もし、気を使っているんだから人もそうであってほしい」
と心にいつも不満がたまります。自分が我慢をし、人に気を使っているぶん人を裁きます。これがいい人の人間関係で疲れ、苦しんだりする心の内面です。これに気がつかない限りは人間関係の苦しみから解放されません。
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人間関係が良くならない決定的な理由は、相手の悪いところを見て裁いてばかりいるからです。いくら表面的に笑顔をつくったり、親切そうな言葉をかけたりしていても、心の中で相手の欠点ばかり見ていたんでは、
決して人間関係はうまくいきません。  人は実に敏感で、相手の心の雰囲気を無意識的に感じ取っています。ましてやいつも顔を合わせている家族や友人同士では微妙な違いまで伝わります。
心というのはまだまだ不可思議な領域でして、人間同士だけではなく、人と動物、人と植物、人と機械さえも感応すると言われています。最近の雑誌に書かれていたことなのですが、
私たち夫婦は、散歩の途中で何匹かの猫に会うのを楽しみにしている。でもひとつだけ困ったことがあった。それは私たちが行くと、猫たちが小競り合いを始めることだ。
ある日、小競り合いの最中私は思わず「みんな同じようにかわいいんだから、心配しないでね」と声をかけた。するとどうだろう。その日を境に、ケンカをしなくなったのだ。それどころか、互いに譲り合うようになった。
愛情のある言葉は、動物にも通じるすごい力があると知った。人に対しても、同じようにできるかぎり誠意を持って接したいと思っている。(ヨミーより) こうした実例もあるくらいです。心は伝わるのです。ここに仲直りの秘訣があります。
自分の方からつまらぬ意地張を止めて、心の中で和解をすればいいのです。 「あの人も結局はいい人なんだ。自分が悪いとこだけを見ててすまなかった」と思うことで和解へ進みます。「自分が悪かった」と思うのを負けたと
思うからいつまでも意地を張るのです。「自分が悪かった」と思える人はかなりの人格者です。世の中にはこう思う人が少ないのです。 こう思うことで、いつの間にかわだかまりのない人間関係になっていきます。
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日常生活の目では、自分と他人はそれぞれ別の存在で、何のつながりもないように見えますから、心で人を勝手に裁いたり、嫌ったり、あるいは不幸を望んだりします。 そうした思いを抱くことが、どれだけ二人の間に影響しているかは目には見えないからかまわず思い続けます。
二人が直接体面している時だけ取り繕っておけば差し障りはないだろうと思っているのが大半の人の考え方ではないでしょうか。 実はこの常日頃思っている相手の人への感情が、二人の人間関係を決定づけています。目には見えないのですが、心は通じているのです。
こう考えますと、自分の思い、感情が変われば相手との人間関係も変わってくるわけです。出会っている時だけの小手先の対応では、なかなか人間関係を根本から変えることは出来ません。 特に嫌な相手ですと、一日のうち相手のことが自分の頭に浮かんでくる頻度も多くなります。その都度、
「嫌な奴」と感情を働かせますから、二人の間はさらに悪化し、悪循環におちいります。 そこで人間関係を変えていく大切な時は、相手のことが頭をよぎった時だということがわかります。その時に自分の感情を働かせ続ける前に、すかさず言葉の力を用いて自己コントロールをするのです。
自己コントロールの言葉です。 「私は彼(彼女)を赦します。私は彼(彼女)のなかに良い点も十分にあることを知っています。私はいま愛と寛容の心を働かせ、彼(彼女)を赦し、私の心より放します。」と、相手のことを思い出すたびに唱えるのです。こうすることでイヤな感情を
働かせないで気持を切り替えていくのです。 これが人間関係のもつれを解くテクニックです。
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