人間関係の悩みの中に友達が出来ない、友人の輪の中に入っていけないという悩みがあります。 こうした悩みを抱える本質的な原因は、一つには自分の自信のなさからくる弱さと、もう一つは明るさが足りないの二つが大きな原因と言えます。生まれつきの人間性というよりは、幼い時からの育った環境により創られた性格的な影響が出ている人です。 こうした人は何かのはずみで自信をつければ、変われます。 私の経験から人前で話しが出来るようになると大きな自信がつきます。自信は強さをもたらします。
そして変わります。私たちの話し方教室へ来ている方で、人前で話せるようになったことで、人づき合いまで変化するようになった人はたくさんいらっしゃいます。  暗いと人を近づけません。人は楽しいこと、明るいこと、素敵なことを求めています。何もいつも「ワッハッハ」と笑うことが必要ではありませんが、表情を明るくすることが大切です。 ある若い女性ですが、自分は顔つきがきついので中学生のとき口の角を上げるように努めたと話されたのですが、今では
そんな悩みを持っていたとは感じさせない素敵な女性です。私も若い頃はいつも母から「おまえは苦虫をかみつぶしたような顔をしている」とよく言われたものです。表情など笑いの練習で変わります。 友人の出来ない人にとって大切な生き方があります。 人は例え自信がなく、暗い人でも評価できる人にはそっと応援します。人は善き人に感銘するものなのです。みんなが嫌がる仕事、ちょっとした心遣い、思いやりなど人のためになることを率先して行うことで
人から評価されます。人のためにと思う心が本物ならば、人はあなたを支えます。
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気難しい顔をした人には、なるべく近づきたくありませんよね。人を不快にさせるからです。 私たちの教室の年配の男性でOさんという人なのですが「私は愛想の悪い顔で、その上ぶっきらぼうだからどうしても初対面の人が苦手だ」という方がいらっしゃいます。
こういう人はあんがい多いですよね。私なんかも昔は、母からよく「おまえは苦虫を噛みつぶしたような顔をしている」と言われたものでした。 教室で相づちの勉強をしたことがあるのですが、Oさんは熱心ですから早速試したそうです。ある会合で講演をしている人の話を、
おおきくうなづいて相づちのことばを入れながら聞いていたら、終わったあとでその講演をしていた人が自分のところへ来てお礼を言われたそうです。 Oさんが言われるのには 「人を喜ばせると、人が寄ってくる」。 名言ですね。
ぶっきらぼうを親切な相づちに変えただけで、こう違うのですから、愛想の悪い顔もついでににこにこ顔にしたらどんなに対人関係が変わるでしょう。 私たちでも、にこにこしている人の側へゆくと、心がのびのびしてきて言葉のひとつでもかけてみたくなりませんか。にこにこしている人は何をしなくてもそれだけで人を喜ばせているんですね。
また、教室のある女性は、子どもの頃に人から「あなたの言い方はきつい」と言われたことがトラウマになり、いまだに人づきあいが苦手な方がいらっしゃいます。 人づきあいが苦手な人は、自分はそういう人だと思い込んでいませんか。ただあなたが 人を寄せ付けていないだけで、みんな自分の心がけ次第で変わります。 卑屈になる必要はありませんが、 人をよろこばせる、やさしく接する、できることから自分を変えてみましょう。
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強情な人は素直とは言えません。ましてその強情が強い人は素直どころか、強情っぱりと言ってひねくれた心を持った人です。 付き合いにくい人と言えます。強情っぱりはやさしくない人ですから、誰からでも憎まれたり嫌われたりします。
なぜ人に嫌われるのに強情を張るんでしょう。  強情な人を別のことばで言うと「我」の強い人ということになります。こう言うとわかりやすいでしょう。「私 が」「私 が」
と言って自分の思うように、自分勝手に生きていこうとする人です。「自分が、自分が」という心が強く働いて、強情を張らなければならなくなるのです。
強情を張る結果、人と折り合いがうまくいかなくなり、目先で得をしているようでも人生で損をしています。 強情な人はこの世の中を競争の世界だ、うかうかしてると人に負けて損をすると思っているんじゃないでしょうか。狭い世界に生きている人と言えるかも知れません。
あるいは幼い頃から自分の思うとおりに甘やかされて育てられた人でしょうね。 こういう人は一度、いや何度でも自分を客観的に見つめてみたらどうでしょう。この世の中でほんとうは何が得か、なにが幸せか。 素直に「はい」と言って受ける心、明るくのびのびした心を出せばまわりの世界が違ってきますでしょう。
素直に力まず人と交流ができた時には、その人の顔つきにも、言葉つきにも、明るい生き生きしたところが出ていますから人に好かれます。 強情な人はきっと何かを恐れているのでしょう。思い切って恐れのフタをとればこだわりのない素直な自分が出てきます。
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私たちの周りには、人に『好かれる』人と『どうも好きになれない』人といます。この違いはどこから来るのでしょうか。 快適な人間関係を持つためには出来れば『好かれる人』になりたいものですね。
人はウマが合う合わないで人間関係を決めていますが、このウマが合うかどうかを選択しているのは、自分の無意識の心です。どこがどうとはっきりわからないながらも直感的に『どうも好きになれない』などと感じています。
人間関係で人知れず悩んでいる人はこの『自分はどうも人からあまり好かれていないみたいだ』と思っている人たちです。 人は明るい人、楽しい人、素直な人を心地よく感じるのですが、もっと掘り下げてみますと、
人は『与える人』に心地よさを感じているのです。 赤ちゃんのときからお乳を与えられ、オムツを替えて快適にしてもらい、泣いたら抱っこしてあやしてもらうなどの体験を通して、人は与えられることの快適さを基本に生きています。
ですから人は直感的に『与える人』を好きになるのです。 物質的なものを与えてくれる人、やさしさなどの心的なものを与えてくれる人。 『好かれる人』の本質はこの与える心を豊かに持っている人なのです。
別の言い方をすれば、『人のために、人のために』という心持の人が『与える人』なのです。 『好かれる人』になるには、自己中心的な考えを改めて、人によきもの、豊かなもの、快適なものを与える人になればいいのです。
逆に『嫌われる人』というのは、奪う人ということが言えます。
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人間関係においてはっきりノーと言わないで、曖昧な態度をとったために起こるトラブルも少なくありません。特に女性がデートに誘われた場合など、相手を傷つけたくない気遣いからはっきりノーと言わないで、曖昧に言葉を濁したりした場合に誤解を生み易いのです。
確かに人との関わりにおいてノーと言うのは言いにくいものです。出来ることならイエスと応える方がズッと楽です。だからはっきりノーと言う代わりにそれとなく態度でわからせようとしたり、まわりくどい言い方で相手に伝えようとします。 人間関係においては、
このノーの表現の仕方は極めて大切なことのように思います。ごく親しい関係の場合、ことさらノーと言えることが大切です。はっきりノーが言えないとその人間関係は深まっていきません。 ノーが曖昧ですと、その人が言うイエスも曖昧さを帯びてきます。曖昧な言葉の表現からは
より深い心の交流は生まれませんし、その人の真実を受け入れてももらえません。 ノーと言ってケンカになったとしても、その試練の先にはごまかしのない正しい二人の関係が存在します。ごまかしの上に築かれた人間関係がさまざまな憂うつやストレス、そして病を引き起こしています。
特に恋人や夫婦の関係では、その全存在がお互いに深く関わりを持つことが必要です。大きく心を開いていくために、そしてゆるぎない理解のためにノーはとても大切です。
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